「未だ見ぬ風景」から広がった新しい視野
2020年、SUMUSは新たに「設計しよう、未だ見ぬ風景を。」というMISSIONを掲げて走りはじめました。(発表時の記事→ https://sumus-inc.co.jp/column/1598 )
あれから約1年。私としては、想像していた以上に自分たちがやってきたこと、これからやるべきことがクリアに見渡せるようになり、水面下で取り組んできた「まちづくり」「田舎の再生」を大きく前進させ、テレビ出演や書籍執筆の機会を得ることもできました。
しかし、その一方で、まだまだ「設計しよう、未だ見ぬ風景を。」に込めた意味、その先にある未来を多くの人たちと共有できていない……と感じることもあります。
そこで今回は、理念のアップデートから約1年を経た視点から、「設計しよう、未だ見ぬ風景を。」について、もう一度、深く考えていきたいと思います。
「未だ見ぬ風景」=まだ存在はしていない、
でも、自分だけは見えているもの
そもそも私自身、このMISSIONが言語化されるまで、自分が過去やってきたこと、現在やっていること、未来にやりたいこと……が上手くつながらず、悶々と悩む日々がありました。会社の基盤となっていたIT支援やアウトソーシング、助成金サポートなどの仕事と、個人の研究開発的な視点で取り組んでいた「まちづくり」「田舎の再生」がロジカルに結びつけらておらず、SUMUSとしてどう進むかに迷いが生まれていたように思います。
しかし、「未だ見ぬ風景」という言葉と出会い、その状況は変わりました。過去から現在までに取り組んできた事業はすべて、工務店業界に、もっと言えば世の中になかったものをつくり、「未だ見ぬ風景」をつくるためにやっていたことだったと気づいたんです。
つまり、「未だ見ぬ風景」とは、まだ存在していない状況や、まだ起こっていない変化のこと。でも、同時に、「自分にだけは見えているもの」を意味します。
私はこの頃から改めて強く感じるようになりました。「自分にしか見えない風景をつくりたい」と。そして、当時から模索していた「つくりたいけど、未だ世の中にはなかった風景」である、「まちづくり」「田舎の再生」に対して自然体で向き合えるようになりました。すると、すべての流れがいい方向へと変わっていったのです。
それぞれの「未だ見ぬ風景」を見つけるために
「まちづくり」「田舎の再生」は、あくまでも私がSUMUSという会社とともに見出し、つかもうとしている風景のひとつ。だから、SUMUSのスタッフ一人ひとり、それぞれの「未だ見ぬ風景」を見つけてほしい。そして、その先で、「未だ見ぬ風景」を設計する人や企業がどんどん増えていったらいい。そう考えています。
しかし、そのためには、未だ存在しないものに向かっていく強靱な世界観が必要です。コンサルタントという職種で例えるなら、既存の知見や方法論に頼るのではなく、新しい手段を自ら研究・開発していくような姿勢……と言えばわかりやすいでしょうか。
それは、システムにとらわれない生き方・働き方を体現すること。もっと言えば、これまでの価値観で語られてきた、ブルーカラー=肉体労働者、ホワイトカラー=知的労働者に対して、新たに生まれてきた「クリエイティブクラス」を目指すことに他なりません。
勉強だけでなく研究に取り組んでほしい
「クリエイティブクラス」という耳慣れない言葉に触れて、「別に自分はデザイナーやアーティストを目指しているのではない」と思う人もいるかも知れませんが、「クリエイティブ」とは別に職業的な意味合いでのクリエイターを指し示す言葉ではありません。創造性を持って、新しいもの、世の中に未だ存在していないものを生み出すすべての職能者が、この「クリエイティブクラス」に内包されます。
さて、それでは、どうしたら創造性を持つことができるのでしょうか。その問いの答えはさまざまありますが、「勉強だけではなく研究をしてほしい」という話がわかりやすいかと考えています。
「勉強」とは、書物やインターネット、セミナーなど、すでにある知見を吸収する行為。これに対して「研究」とは、まだ誰も見つけていない課題を探し、解決していく……つまり、「発見」を目指す活動です。
別に「勉強するな!」と言っているわけではありません。どんな分野でも基礎的な知識を身に付けることは重要です。しかし、勉強だけでは、新しもの、未だ見ぬ風景を設計することはできません。より広い視野を持って、自分だけが見える未来を見つけ出すために必要なこと。それが研究です。それはまだ、本にもなっておらず、検索しても出てこないようなもの。
みなさんは今、そんな「得体の知れないなにか」について考えたり、ワクワクしたりする時間を持てているでしょうか?
そんなもの「簡単に見つからないよなあ」なんて思う人もいるかもしれません。しかし、これだけ情報が氾濫している今だからこそ、希少性のあるニッチなニーズや課題を見つけ出せる情報編集能力と、自分の価値観や世界観を信じられる強靱で柔軟なマインドが求められている……とも言えるのではないでしょうか。
IT産業の登場によって大きく変化した資本主義の構造
いろいろな話をしてきましたが、「設計しよう、未だ見ぬ風景を。」というMISSIONは、「誰かのようになる」「あの会社を追い抜こう」といったロールモデルがない価値観を表現しています。では、なぜ、このような価値観を企業として掲げる必要があるのでしょうか?
それは、これまで多くの人や企業が信じてきた資本主義の構造が限界を迎えつつあるからです。
資本主義とは「お金がお金を生み出すシステム」のこと。人類は狩りと採集の時代を経て、農耕という技術を獲得し、麦などの作物を蓄えるという方法を身に付けました。
資本主義が生まれたのはこの瞬間です。ただし、誰もが富を蓄えられるわけではなく、当然ながら土地や蔵や労働力など、物理的リソースを持つ権力者に麦が集まっていいきます。麦は麦によって増えるので、その結果、持てる者と持たざる者の差はどんどん広がっていきます。
やがて時代は流れ、権力者は資本家になり、麦は貨幣に代わりましたが、構造的には何も変わらない状況が続いてきました。しかし、IT産業の誕生と成長が、長らく続いたこの流れを大きな変化をもたらします。IT産業には、従来の経済活動に必須だった物理的リソースがほぼ必要ありません。
それまでの資本家たちは、物理的リソースを囲い込むことで利潤を得ていました。だからこそ、持てる者は資本家であり続けられましたし、持たざる者は労働者階級のままでいなければならなかったわけですが、IT産業の登場でこの構造が崩壊したのです。
資本主義の限界を超える「新しい資本主義」とは
GAFA企業をイメージしてみてください。例えば誰かが突然、AppleやGoogleの資本だけを相続しても、その価値を保ち、高めていくことは難しいはずです。
IT企業やコンサル企業といった新しい産業においては物理的リソースを囲い込む意味はない。必要な資本はただひとつ、人間だけ。お金や土地よりも、優れた知識や発想=知的資本を持つ人間・企業が優位に立つ時代がやってきたのです。
ただ、一方で、「誰も持っていないリソースを独占できた者が勝つ」という資本主義の原則に変わりはありません。我々が今、独占すべきリソースとは、知識であり、創造性であり、広い視野であり、自分の価値観や世界観を信じて研究を進めること……つまり、誰もが自然体で「未だ見ぬ風景」と向き合える企業をつくることなのではないか。と考えています。
つまり、チャンスは誰にでもある
少し壮大な話になってきましたが、私はむしろ壮大であっていいと思っています。
なぜなら、「設計しよう、未だ見ぬ風景を。」というMISSIONは、すなわち、前人未踏の領域に踏み出すことであり、ある意味で(どんなニッチなジャンルであっても)人類の最高到達点を目指そうという意思表示でもあるからです。
別にGAFAのような巨大な資本と企業規模がなくたって、新しいことはできる。必要なのは知識と意志と創造性だけ。誰にだって「未だ見ぬ風景」を見つけ、設計していくチャンスがあるんです。
私はSUMUSの経営者として、そして、ひとりの人間として、もっともっと、たくさんの人たちと「未だ見ぬ風景」の話がしたいと思っています。きっと、そこから、胸躍る未来が、次々と生まれてくる。そう確信しています。